JR東日本のおトクなきっぷを活用し、秋田県湯沢市稲庭町稲庭を訪れました。稲庭うどんの発祥の地で聖地でもある場所であり、豊かな自然環境の中で本場の味を満喫できました。
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稲庭うどん発祥の地「秋田県湯沢市稲庭町」
稲庭うどんが誕生したのは江戸時代の初期とされています。秋田藩の雄勝郡稲庭村で麺づくりをしていた佐藤市兵衛の技術を初代稲庭吉左衛門が受け継ぎ、改良を加えてうどんづくりの製法を確立させたのが寛文五年(1665年)です。これが稲庭うどんの起源とされており、現在の秋田県湯沢市稲村町は稲庭うどん発祥の地ということができます。
この製法は門外不出・一子相伝で代々の宗家の当主のみに伝えられましたが、その製法が断絶することを防ぐため万延元年(1860年)に分家の佐藤養助(二代目)にも特別に伝えられました。
宗家と分家により細々と伝えられてきた製法は1972年(昭和47年)に七代目の佐藤養助により広く公開されました。これにより稲庭うどんは家業から地域の産業となり、現在では佐藤養助総本店が位置する稲庭町稲庭を中心として店や工場が大小合わせると100社くらいあるといわれています。
JR東日本のおトクなきっぷ「旅せよ平日!JR東日本たびキュン♥早割パス」を利用し、稲庭うどんの聖地と言っていい「秋田県湯沢市稲庭町稲庭」を旅してきました。新幹線や在来線を丸1日乗りまくって交通費の総額が1万円ですから、こんなお得なきっぷはありません。
秋田新幹線で分水嶺を超える
まずは秋田駅に向かうため東京駅6:32初のこまち1号に乗車しました。
秋田新幹線は盛岡から先は在来線である田沢湖線と奥羽本線に乗り入れるため通常よりも車幅が狭く、左右両方とも2列となっています。平日で始発の秋田新幹線なんてガラガラだろうと高をくくっていたのですが、東京駅の時点で既に混雑しており、大宮を過ぎると完全な満席となりました。私が見た範囲ではビジネス客など一人もおらず、私と同じ観光客ばかりであったと思われます。「キュン♥パス」恐るべしです。
東北新幹線から富士山が見えるとは思ってもみませんでした。
2月中旬の東北への旅ということで一面の雪景色を期待したのですが、盛岡まではほぼ見られませんでした。しかし田沢湖線の奥羽山脈越え区間に入ると期待していた通りの車窓が目の前に広がります。
動画の後半でトンネルを抜けますが、これを境として川に流れが逆となったので、このトンネルは日本海と太平洋の分水嶺の仙岩峠を越える仙岩トンネルだと思われます。
上り秋田新幹線の遅れによる影響などもありましたが、最終的には定刻の10:24に秋田駅に到着しました。
新幹線と在来線では車幅だけではなく高さも違うようで、ホームとの間に結構な段差があります。
秋田では無限堂大町本店で比内地鶏つけ麺を味わいました。
奥羽本線は何が珍しいのか?
無限堂大町本店から急いで秋田駅に戻り、今度は11:49発の奥羽本線普通列車で湯沢へ向かいます。こちらが先頭だと思ったのですが、実際は最後尾でした。
奥羽本線の秋田~大曲の区間は全国でもかなり珍しい区間として知られています。
一見すると複線のようですが、左側が奥羽本線で右側が秋田新幹線となっており、線路の幅が違います。
そのため新幹線と在来線がすれ違ったり並走したりするという珍しい光景が見られます。
さらに峰吉川~神宮寺の区間では全国で4か所しかないという三線軌条が見られます。
新幹線の側から線路が伸びてきました。
奥羽本線の線路に接続します。
奥羽本線の線路が三本になりました。
秋田新幹線はほとんどの区間が単線であり、新幹線と言えど行違う際は駅や信号所での列車交換が必要なのですが、峰吉川~神宮寺の区間だけは新幹線同士のすれ違いができるのです。一方、私の乗った湯沢行普通列車は秋田新幹線が遅れたため、神宮寺駅で5分待たされる羽目になりました。
こちら側の線路に入ってきた秋田新幹線と神宮寺駅で列車交換しました。
奥羽本線は大曲を過ぎるとひたすら田園風景の中を走ります。単線でワンマンの2両編成という典型的なローカル線ですが、かつては寝台特急や急行列車が運転されていた時期もあったといいます。
途中から雲行きが怪しくなってきました。
湯沢駅には13:32に到着しました。
「聖地」稲庭町稲庭で稲庭うどんを食す
稲庭へは湯沢駅からバス便が出ています。(十文字駅からも出ています。)
羽後交通路線バス小安線で乗車時間は約25分で、稲庭中町バス停で下車します。
いよいよ「聖地」稲庭町稲庭までやってきました。
街の中心部を抜ける国道398号線の両側に稲庭うどんに関わる様々な施設が建っています。
その大半は稲庭うどんの店舗です。
国道から一歩奥に入ると製麺工場や倉庫も数多く存在します。
関係者の屋敷や賓客をもてなすための施設と思われるようなものもありました。
食事処としては佐藤養助本店(上)と寛文五年堂本店(下)が際立っています。佐藤養助本店では二味せいろ、寛文五年堂本店では天ぷら付き味比べ(温)を味わいました。
香川とは真逆の気候風土だった
山に囲まれた稲庭は寒さが厳しく空気が澄んでいました。
そして町のどこを歩いていても水が流れる音が聞こえてきました。
蒸し暑く常に水不足に悩まされている香川と真逆だったのがひたすら興味深く、うどんの世界というものは奥深いものであると改めて感じました。まだまだ日本にはその地域ならではの個性的なうどんがあると思います。もっともっと巡っていきたいものです。
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